Lort Atkinsは、Neighbor の法則とDuty of Careの法則をDonoghue v Stevenson [1932] AC 562 で発展させてきたが、実社会や実務的な状況においてその原則に当てはめにくいケースが出てくるようになった。
時間の経過とともにLord Atkinsの提唱した原則は、一部のみの適用をされるようになってきた。
その一例がCaparo Industries Plc v Dickman [1990] 2 AC 605でLord Roskilが以下のように述べている。
法律が過失責任を問うべきか問わないべきかの単純な基準というものは往々にして存在はしない。予想可能(Foreseeable)、近接性(Proximity)、近所(Neighborhood)、Just/Reasonableといった用語が頻繁にみられるようになった。それらの形容詞は、最も良くて意味を成すが、たいていの場合は、言葉とは裏腹に事実と乖離していたりすることがあるので、Duty of Careがあるかどうかを決定する前に、よくよく検証しなければならないことが多い。では、どこまでを(Scope and extent)Dutyとするかが問題である。
Caparo Industries Plc v Dickmanにおいて、裁判所は新しいDuty of Careの検証方法を提唱した。
1, 被害者の損失は常識的に予測可能なものであったか (Unreasonably foreseeable)
2, 被害者と加害者の関係に近接性はあったかどうか
3, 両者の関係においてDuty of Careが発生するような関係・状況だったと裁判所が納得できるかどうか
裁判所はDuty of Careにより生ずる直接的な金銭的損害に関する賠償を容認することについては慎重となる必要があるとした。一方、生じた傷害や器物破損に関しては厳格すべしとしている。その背景にあるものは、もし、誤った保険請求などにより賠償を許容してしまうと、保険料が上がり他者の金銭的損失にひいては繫がる恐れのあるためである。さらに、今後、あまり関係のないような事柄でもDuty of Careに結びつけ、保険請求が増大する懸念があるとした。
これらの懸念とは対照的に、Capro v Dickman以前においては、裁判所はNegligent Misstatementについては、金銭的損失の回収については容認してもらえるという見方をしていた。これはHedley Byrne& Co Ltd v Heller & Partners Ltd [1964] AC 465 で確立された。この事件では、銀行が誤った情報を不注意で与えてしまった。Claimantは、銀行の情報に頼らざる負えない状況にあり、結果的に金銭的損失が発生してしまった。銀行側は、第三者の情報に頼らざる負えなかったとして責任を逃れようとした。しかしながら、the House of Lordは第三者や専門家の特別な関係や情報に頼らざる負えない場合には、Negligent Misstatementと考えられるとした。
この考え方は、洪水発生後の建物の損傷建造物の建設承認や検査にも適応された。裁判所は、金銭的賠償に関する考え方については慎重となっており、Anns V Merton London Borugh Council [1978] AC 728をOverruleしたMurphy v Brentwood District Council [1991] 1 AC 398 に落ち着いた。
海事においては、裁判所は上記の責任が貿易を阻害せぬような前例を作りたくないとしており、契約法でもそのような制法をしている。
Candlewood Navigation Corp Ltd v Mitsui OSK Line [1986] AC 1ではMineral TrasnporterとIbaraki MaruがMineral Trasnporterの船員の過失によって衝突した。最初の訴訟人、Ibaraki Maru船主は第二の訴訟人に用船していた。第二訴訟人は、第一訴訟人に本船を再用船していた。訴訟人は、用船者として、本船修理中の金銭的損失について回収を申し立てることはできない。Privity Councilは、Principalは契約関係にただあるという理由で損害賠償を申し立てることができないとした。
Leigh and Silivan Ltd v Aliakmon Shipping Co Ltd (The Aliakmon) [1986] AC 785